海辺の家のカーテン―「生きる家プロジェクト2025」についての覚書

このレポートは、『生きる家プロジェクト2025|オープンスペース兼展覧会「わたしたちはばらばらの場所で」』にご来場いただいた、井上幸治さんに執筆いただいたものです。

海辺の家のカーテン―「生きる家プロジェクト2025」についての覚書

 
「生きる家プロジェクト2025 わたしたちはばらばらの場所で」は、アーティストのちばふみ枝が東日本大震災で被災した実家を外部に開放する試みとして行われたオープンスペース兼展覧会です。石巻市渡波にある長浜海岸の防風林裏手に位置するその家は、被災によって生活空間の場としてあり続けることが困難となったため、今はちばのアトリエ兼倉庫として使用されています。建て直しや解体といった時間の区切りが伴う選択ではなく、アトリエ兼倉庫という時間の持続を可能とする選択がなされたことで、ちばと家との関わりはゆっくりとした時間の下で築かれていくことになります。 遅延することを恐れず、ゆっくりと行われる家との関わり(片付け)は、一種の治療的な作業です。長い時間をかけて被災した家との関係性が緩やかに作りなおされていくことで、ちばと震災後の世界との関係性も緩やかに作りなおされていきます。 時間をかけて作りなおされていく関係性を、部外者が簡単に知り得ることは出来ません。ゆっくりと時間をかけて変化していく様を、私たちが知り得る可能性があるとしたら、私たち自身がその関係性に入り込んでいく必要があるでしょう。そうした意味においてオープンスペースという方法は、私が関与する機会を与えてくれるまたとない機会であったと言えます。
本展では6人の作家(かんのさゆり、菅野泰史、千葉勝子、ちばふみ枝、宮下サトシ)の作品と、永井玲衣の言葉が会場内に展示されています。本会場の特徴は作品を展示するための空間がホワイトキューブではないということです。その為、壁面と作品との間には常に緊張感があります。この緊張感は観者に作品だけでなく壁全体、もしくは空間全体を見ることを要求するものです。たとえば玄関の引き戸を開けて土間に入り込むと、正面の玄関ホールに一点の絵画が展示されています[図1]。
 
[図1]玄関ホール
[図1]玄関ホール
その壁面には作品を日常空間から切り離して展示するためのフレームが設けられていますが、フレーム下方の内壁は外れていて、間柱が剥き出しとなっています。本来、隠されているべきものが剥き出しとなっていることで、作品と壁面の関係がただならぬことになっていることが分かります。このただならぬ関係はフレームの外側だけの出来事ではありません。その内側にも震災の痕跡が錆や滲みといった形で侵入していることが確認出来ます。ここでは、そこで起きた出来事を白く塗りつぶして隠蔽することはされていません。隠蔽するのではなく、この壁に応答するかのように作品が展示されているのです。
具体的に作品を見ていくと、玄関ホールに展示されているのは、ちばの母親である千葉勝子の日本画です(《無題》2024年)。それは海水と砂に浸かった過去作品をブリコラージュ的な手法で画面内に取り込んだ作品で、支持体の上に糊付けされた過去作品には向日葵とエンゼルトランペットの花が描かれています[図2]。それは津波によって色彩を失った絵画の断片です。この断片は画面右上から対角線上に傾斜していくような広がりをもっていますが、それを受け止め支えるかのように画面左側の余白部分に彩色された向日葵とエンゼルトランペットの花が描かれています。しかし、一枚の紙の上に並置された二つの花を一続きの絵画と捉えることは難しく感じます。そう感じるのは被災した作品が持つ物質性の強さによるものです。そこには描かれたイメージとは違う、別のイメージ、別の出来事があります。描かれているのは花のイメージですが、それは震災という出来事が深く刻まれた物質でもあります。この物質を支持体の上で繕うのは、新たに描き足された花ではなく、作品を保護している額縁の外側にある壁紙の滲みの方でないでしょうか。絵を見る距離ではなく、壁を見る距離から作品を見ると、画面上のモノクロームと、壁面の滲みは共鳴して一体化しようとしているように見えます。 先に私は新たに描かれた花が被災した花の絵を受け止め支えるように描かれていると書きましたが、壁を見る距離から画面を見ると、それは窮屈な片隅に追いやられています。支持体に貼られた物質の強度と比較すると、そのイメージはあまりにも弱いものです。 この「弱さ」は、私に震災後に何度も問われた問いを、「アートに何が出来るのか」という問いを思い起こさせます。しかし、「弱さ」とは否定されるべきものなのでしょうか。出来事の強度に対抗するのではなく、「弱さ」が選択されているのは、それでもなお「描かれなければならない」という作家の応答ではないでしょうか。
 
[図2]千葉勝子《無題》2024年
[図2]千葉勝子《無題》2024年
 
上がり框から屋内に上がり玄関ホールから廊下を進むと、2階につながる吹き抜けの空間があります[図3]。階段伝いに目線を上げていくと、2階の手前に千葉の日本画がもう一点展示されています(《イマジン》2024年)。 この展示位置は私たちの目線を津波が到達した地点に導くものです。二階床下まで浸水した海水の痕跡は指摘されないと気づき難いものですが、わずかに変色したラインが確認することが出来ます。この生死を分けるラインは、今、私が立つ場所が津波に飲み込まれた場所であることを伝えるものです。この気づきは建物の内部にいるという自明の安心感を揺さぶります。しかし会場内で視線がこのラインより上に向かうのはこの場所だけであって(本展では階上に展示空間は用意されていません)、基本的に観者はライン下の海水と砂で埋もれた空間を水平方向に歩んで行くことになります。
 
[図3]会場風景
[図3]会場風景
 
津波の到達ライン上を漂っていた視線を元に戻して、吹き抜けの通路からリビングに入ります。そこは生活に根ざす室内空間があった場所です。そこでまず眼にするのはちばふみ枝の《来客》と題された立体作品です[図4]。 それは板状の平面を複数枚組み合わせた作品で、平面の一つ一つに彩色されたレリーフ面と、平坦な白地の面があります。一見すると正面と背面を持った書割的な作品であるので、単一視点な作品に見えますが、実際は多視点的な作品で、どの方向から見てもレリーフ面が必ず観客から見えるように設計されています。しかし室内に入ると、正面でなく背面が観者の側に向けられて展示されているように見えます。そう見えるのは北東に位置する出入口から屋内に入ると、南窓から差し込む逆光で北側のプラン(面)がシルエットとして映るからなのですが、そう見えるのは偶然ではありません。作品が窓を意識して設置されているからです。 おそらくこの作品を見る正しい位置というものがあるとしたら、それは窓の外側です。窓の外から見られたときにカーテンのレリーフ面が正面として見えるように設置されているはずです[図5]。しかし前記したように、この作品は多視点的な作品であるので、何処が作品を見るのにベストな場所なのかということは重要ではありません。ここで重要なのは作品が窓を意識して設置されているということです。単に書割的な効果を狙ってカーテンを置きたいだけなら、窓際に置けばよいだけです。しかし、ここではガラス窓からある一定の距離が確保された状態で作品が設置されています。それは窓側に回り込んで作品を見るためだけの距離ではありません。それは窓の外に対する恐れや不安と言った感情に対処するために設けられた緩衝帯ではないでしょうか。もちろん窓の外に対する複雑な感情の表れの中には、不安や恐れだけでなく、過去の思い出や喜びといった感情もあるでしょう。 そこにある悲しみや苦しみと言った幾つもの感情を、私が何処まで感取することが出来るかは分かりません。私に分かるのは、それが閉ざされていないということだけです。 窓の外に対する複雑な感情を抱きながらも、カーテンは閉ざされることなく、開かれています。ちばの作品にある開口部は、この部屋を陽光が射し込む「明るい部屋」としています。それは内部にいながら外部と出会うことを可能とするものです。
 
[図4]ちばふみ枝《来客》2024年
[図4]ちばふみ枝《来客》2024年
[図5]ちばふみ枝《来客》2024年
[図5]ちばふみ枝《来客》2024年
 
陽光が射し込む南窓と対になる北壁には、かんのさゆりの写真作品(《荒野と庭》2015年)が展示されています[図6]。それは猛烈な繁殖力で道路の法面を被覆していく葛を写した作品です。あらゆるものを被覆していく自然のカーテンは、あらゆる事物を飲み込んでいき、そこにあった痕跡を覆い隠していきます。その草陰には「死」の世界を想起させる闇があるはずなのですが、私たちの日常においては、最早、震災後の風景も見慣れた日常の一コマでしかないのか、草陰の異界が意識されることはありません。 もし、そこに何らかの脅威を感じ取るとしたら、それは草陰にある異界性ではなく、猛烈な繁殖力で浸食してくる葛に対してではないでしょうか。その繁殖力は忌むべき出来事や不都合なものを覆い隠してくれている分には都合が良いものですが、人間の意向を無視して生活圏に浸食してくることは許されていません。しかし写真として取り込まれた自然には屋内の安全を脅かす脅威はありませんので、葛の驚異的な繁殖力も写真であれば安心して眺めることが出来ます。 もっとも古来より日本で親しまれてきたはずの葛が、いつの間にか私たちの生活を脅かす植物として認識されていることには注意すべきです。古来より縦横無尽に繁茂する葛の性質は知られていましたが、それが脅威として表現されることはありませんでした。 たとえば秋の七草としての葛を好んで描いていた酒井抱一の作品である《夏秋草図屏風》から、葛の繁殖力に対する脅威を読み取ることは難しいでしょう[図7]。 葛は人間の一方的な都合で有用植物から強害雑草とされただけでなく。描き方まで一変した植物です(註1)。この変化から分かるのは、自然と同等(あるいはそれ以上)の脅威が人間の側にもあるということです。窓の外の風景を一変させるのは自然だけではないのです。
 
[図6]かんのさゆり《荒野と庭》2015年
[図6]かんのさゆり《荒野と庭》2015年
[図7]酒井抱一《夏秋草図屏風》(部分)19世紀、東京国立博物館
[図7]酒井抱一《夏秋草図屏風》(部分)19世紀、東京国立博物館
 
生活空間であったリビング内を見渡すと窓枠、棚枠、扉枠と言った幾つものフレームが連続してあることに気が付きます[図8]。この連続するフレームの多層性と多重的な連なりはオランダ絵画の幾つかの作品、たとえばピーター・デ・ホーホの《母親の義務-母の膝にあたまを預ける子供》(1658-60年頃)や、ヨハネス・フェルメールの《窓辺で手紙を読む女》(1666年頃)といった作品を喚起させます[図9・10]。 これらの作品から分かるのは、17世紀のオランダで描かれた風俗画の多くが女性の領域である家庭生活を描いた室内画であったように、この室内にも家庭生活があったということです。室内の至る所に置かれているちばの祖母の遺品から明らかになるのは、ここが祖母、母、娘という三世代によって繋がれてきた女性的な空間であったということです。 もっとも、ここにはフェルメールの絵画に見られる様な男性の眼差しに晒されている女性はいません。一方的に観察される女性像というものは拒否されていますが、ここで私の他愛もない考えを、ちばの作品が窓の外から見られることを想定しているという推測を思い出してみると、ここで外部からの視線に晒されているのは、観客である私であることに気が付きます。つまり私は一方的に見る存在としてここに居るのではないのです。私は見られる存在でもあるのです。
 
[図8]会場風景
[図8]会場風景
[図9]ピーター・デ・ホーホ《母親の義務-母の膝にあたまを預ける子供》1658-60年頃、アムステルダム国立美術館
[図9]ピーター・デ・ホーホ《母親の義務-母の膝にあたまを預ける子供》1658-60年頃、アムステルダム国立美術館
 
[図10]ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》、1666年頃、ウィーン美術史美術館
[図10]ヨハネス・フェルメール《窓辺で手紙を読む女》、1666年頃、ウィーン美術史美術館
 
リビングを出て日当たりの良い縁側から和室(座敷)に入ると、書院と床の間に陶器で作られた器が9個、横並びに置かれています。それは宮下サトシの作品(《なぎづち》2019年)で、古代ギリシャ人の衣服のような一枚布を身に纏った人体に、眼と口が描かれた碗形の器が頭部として接着されています[図11・12]。 その器には水がなみなみと注がれています。それは供養のための水で、ここでは水を注ぐ行為が一つの祈りとされています。水が注がれた器は床の間の横にある神棚と仏間にある器たち、つまり御神酒や香炉、仏花瓶、灰入れといった飲食の為の器ではない、供養のための器たちと呼応するように並んでいます。その並びには心地よい音楽のようなリズム感がありますが、光を取り入れるための書院から始まる器の並びに水を注いでいく行為には、どこか家という器の中に侵入してきた水(津波)を想起させるものがあります。 もちろん津波がそこにあったものを「奪う」ものであるとしたら、祈りのために注がれる水は喪失したものたちに「与えられる」ものです。両者には決定的な違いがあります。失われたものを埋めることは出来ませんが、与え続けることは出来ます。家という器が母胎的な空間であると同時に、死を内包する供養的な空間でもあるのは、与え続けるための空間を必要とするからではないでしょうか。小さな器たちを介した行為が明らかにするのは、持続的な想起が喪の継続を可能としているということです。
 
[図11]宮下サトシ《なぎづち》2019年
[図11]宮下サトシ《なぎづち》2019年
[図12]宮下サトシ《なぎづち》2019年
[図12]宮下サトシ《なぎづち》2019年
和室(座敷)の奥にある和室は、古風な言い方をすると「納戸」や「寝間」と呼ばれた場所に位置する部屋です(註2)。本来ならそこは奥に隠されるべきプライベートな空間となるので客人が安易に立ち入れる場所ではありません。しかし今は襖が取り外されて開け放たれた空間となっています。この部屋には作品は展示されていませんが、ここで暮らした人々と家との関係を物語るモノが収納ボックスに納められ平積みされています[図13]。そこに残された沢山のモノを眺めながら納戸を通り過ぎて、その先の個室に向かいます。 そこは家の中で最も奥に位置する部屋で、これまでの部屋の中では最もプライベートな空間となります。その部屋には半開きになった二つの収納棚の前に、半開きの長持ちが一つ置かれています[図14・15]。その長持ちの中には黒い海があります。それは菅野泰史の《月光 長持ちの海》(2012年)と題された作品で、石の上に波跡がトレースされています。 その波跡は収納棚の中に残されている、この部屋の住人の痕跡とは違い、差異のない痕跡です(註3)。収納棚の中にあるモノには、一つ一つに持ち主の思い出や家族の記憶がありますが、無数に消滅していく波は何も語りません。無数に消滅していくものを記録しようとする試みは、ある意味において不毛な作業です。しかし、それは「祈り」の行為と同様に対価を求めるものではありません。 収納棚と正対する壁に展示されていた二つの作品(《海のトレース》2016年)は、扉の奥にある暗闇を具現化したような暗い海です[図16]。その表面の水面を西窓から射し込む光が映し出しますが、海の奥底にある深い闇が照らし出されることはありません。それは非人間的な無関心さで沈黙している鏡面なのです。
 
[図13]会場風景
[図13]会場風景
[図14]菅野泰史《月光 長持ちの海》(2012年)
[図14]菅野泰史《月光 長持ちの海》(2012年)
[図15]菅野泰史《月光 長持ちの海》(2012年)
[図15]菅野泰史《月光 長持ちの海》(2012年)
[図16]菅野泰史《海のトレース》(2016年~)
[図16]菅野泰史《海のトレース》(2016年~)
 
奥の部屋を出て廊下伝いに玄関方向に向かうと最後の展示室があります。そこは浴室の脱衣所で、そこにある洗面所の鏡台にちばの手によって永井玲衣の言葉が書き込まれています(註4)[図17]。しかし、そこで私が鏡の表面に書かれた言葉を見るには、鏡の前の私自身と向き合わなければなりません。表面の言葉を見ているはずの私が、鏡の中で見られる存在となっているとは、如何なる状況なのでしょうか。それは鏡の表面から鏡の底に降りていく行為なのではないだろうか。 迷宮的な鏡像空間の中には底知れない深さがあり、私が知り得ないこの家の時間が失われた過去があります。おそらく失われたものが見いだされるには、私自身が鏡の奥深くへと降りていかなければならないのでしょう。しかし、その為には私が鏡の前に立つ覚悟を持たなければなりません。この時、私に求められる覚悟とは、震災後のホワイトキューブに展示すればどんな欲望も肯定されて見ることが許されてしまう、どんなにそれが私的な領域に属するものであっても、暴力的に公の場に晒されてしまうという状況に対する批判として機能するものです。つまり他者を欲望の対象として一方的に見ることに対する批判として、自己が見られる対象でもあるという自覚を促すものです。オープンスペースという方法で、私が、この家と関与する経験とは、表面のイメージを追いかけ消費するのでなく、イメージの奥深くへと降りていき、そこにある時間と向き合うことを覚悟するということであったと言えます。
 
[図17]永井玲衣『世界の適切な保存』(抜粋)
[図17]永井玲衣『世界の適切な保存』(抜粋)
 
●註釈 註1:有岡利幸は「かつては有用植物として日本の農家の人たちに盛んに利用されていたクズが、その猛烈な繁殖力で人びとの生活をおびやかすほどの猛威をふるう強い雑草と評価されるようになった原因は、経済の発展そして効率を求める風潮から、里山に人手を入れなくなったことである」と述べている。有岡利幸『葛と日本人』(八坂書房、2022年、156頁)
註2:小林康夫は海について「その無数の痕跡のどれもけっして他にたいする差異を主張しないだろう」と述べている。小林康夫「海の心理」『光のオペラ』(筑摩書房、1994年、95頁)
註3:永井玲衣『世界の適切な保存』(講談社、2024年)
 
●参考文献 ツヴァタン・トドロフ『日常礼讃 フェルメール時代のオランダ風俗画』塚本昌則訳、白水社、2002年 P・クローデル『闇を熔かして訪れる影 オランダ絵画序説』渡辺守章訳、朝日出版社、1980年 中谷礼仁『未来のコミューン 家、家族、共存のかたち』インスクリプト、2019年 宮川淳『鏡・空間・イマージュ』水声社、1987年 スヴェトラーナ・アルパース『描写の芸術 一七世紀のオランダ絵画』幸福輝訳、ありな書房、1993年
 
井上幸治
 
美術批評。主な論文に「風間サチコ論―植民地表層の現在」(『美術手帖』第15回芸術評論入選、2014)、「《波のした、土のうえ》論」(図録『引込線2015』、引込線実行委員会、2015)など。 https://note.com/yukihartista