時が止まっている“もの”を再生しよう——被災物をめぐる記憶をほどき、繕うワークショップ体験記
このレポートは、「生きる家プロジェクト2025秋|オープンスペース in 渡波の家」のワークショップにご参加いただいた、丹羽朋子さんに執筆いただいたものです。
私/私たちの記憶を宿す身体は、どんな広がりをもちうるのか。あの震災から遠い私の身体は、どうすればその記憶を分かちもつことができるのだろうか。
私/私たちの記憶を宿す身体は、どんな広がりをもちうるのか。あの震災から遠い私の身体は、どうすればその記憶を分かちもつことができるのだろうか。
湊町二丁目、吹上、伊原津…… 石巻駅から乗ったバスは、海辺を思わせる停留所が連なる。最寄りのバス停を降りると、新しそうな顔の復興公営住宅。そこを過ぎた路地に〈渡波の家〉(わたのはのいえ)はある。そびえ立つコンクリの防潮堤を駆け上がると、強風と轟音が全身を包む。眼下には弓なりの海の上を渡る一筋の白波。防潮堤を降ると津波で防砂林が流されたのか、ぽかんと空いた土地にセイタカアワダチソウが茂っていた。(2025/10/18の筆者のフィールドノートより)
このレポートでは、2025年10〜11月、〈渡波の家〉で2回にわたり行われたワークショップ《時が止まっている“もの”を再生しよう》(主催:石巻アートプロジェクト)を、一参加者の立場で記録していく。ワークショップ(以下、WS)の参加者やその後にちばさんのお話を一緒に伺った大学生たちの声も借りながら、私/私たちがたくさんの時間を重ね合う〈家〉やモノに突き動かされた軌跡を辿ることにしたい。
1. 〈渡波の家〉がひらかれるまで
- 2011年 ちばさん、地元へUターン帰省
- 2019年 家の片付けを再開
- 2020年 アートスペース「mado-beya」を市の中心部にオープン
- 2020-2021年 ZINE『海とカモシカ』Vol.1-2、『くすんだベールの干渉』刊行
- 2021年 「石巻アートプロジェクト」開始
- 2022年 ドキュメンタリー短編映像『家は生きていく』(松井至監督)撮影
- 2023年 5月(3日間)「オープンスペース in 渡波の家」開始
- 2024年 5月(2日間)「荒れた庭の再生・メンテナンスについてのレクチャー」/「時が止まっている”もの”を広げてみるワークショップ」、10月(2日間)リノベーション講座「壁補修から今後の“家”を構想する」
- 2025年 2-3月(9日間)展覧会「わたしたちはばらばらの場所で」、10-11月(2日間)WS「時が止まっている“もの”を再生しよう」
宮城県石巻市出身の彫刻家であるちばふみ枝さんは、2011年の東日本大震災を機に帰郷し、現在は作品制作と合わせ、2020年にオープンしたアートスペース「mado-beya」を運営している。あの日、ご家族が住んでいた〈家〉には1階の天井を越える高さまで津波が押し寄せ、壁は壊され、押し流されたモノたちは潮水と砂にまみれた。〈家〉は解体されず空き家になっていたのを、ちばさんがアトリエとして使い始めたのだという。転機は2019年。〈家〉の片付けを再開したちばさんは、その「手入れ」の様子や中にあった捨てられなかったモノたちを撮影し、写真を「mado-beya」で展示したり、ZINEに編むようになる。

2022年に映画監督の松井至さんが、〈家〉と手入れするちばさんの営みを、そこに宿る時間ごと映像作品の中に写し取ったことで、この〈家〉の時計は再び動き始める。2023年春、〈渡波の家〉と呼ばれることになったこの家は「オープンスペース」として年に数回、外からの訪問者を迎え入るようになる。
2. 被災物の「クリエイティブなお手入れ」
本企画とそれまでのWSとの違いは、「手入れ」する相手が不動の〈家〉ではなく、小ぶりの〈モノ〉であることだ。参加者は1日目に自分なりの選択眼をもって〈渡波の家〉の被災物と出会い、鞄に詰めて自宅に移す。それから1ヶ月かけて「クリエイティブなお手入れ」をほどこし、2日目に「再生」したモノを携えて再訪する。これに応答した参加者は、千葉勝子さん、佐藤千穂さん、高橋広子さん、間瀬幸江さん、梶原千恵さん、筆者(丹羽朋子)の計6名。
3. 時が止まっている“もの”を広げてみる(10月18日)
WS1日目、まずはちばさんの案内で〈家〉の中を巡った。居間の本棚には砂のこびりついた『石巻史』全集が残されており、挟みこまれていた石巻の古地図を囲み、地元からの訪問者たちが震災の前と後の地域の記憶を重ねて語り合う。玄関横の戸を引くと、中身の入ったたくさんの靴箱。そこからの流れで私たちは、あの衣装ケースを開いて中の服を1枚ずつ取り出した。あたたかな陽が降り注ぐ居間の床に、カラフルな服が花畑のように敷き詰められていく。


帰り際、参加者たちは選んだモノと思いついた「お手入れ」の仕方を伝えあった。ユキエさん以外の5人とちばさんは、はからずもちばさんのおばあさんの服を選んだ。とりわけ触発されたのは、ユキエさんのアイディアだ。かつてのおばあさんの居室で写真の山を見つけた彼女は、手に取ったポケットアルバムの表紙の「1984年」という手書き文字を見て、同時期に高校に通わなくなった自身を想起し、物語を書くことを思いついたという。
4. ふたりのおばあさんの服を纏う
ここからは一例として、私自身の1ヶ月間の「クリエイティブなお手入れ」を紹介したい。最終的には、《ふたりのおばあさんの服を纏う》と題する短編映像を作った。1日目のWSで、ちばさんのおばあさんの服の中から、ふくよかになった自身の身体でも入りそうなゆったりサイズのカットソーやレトロ柄のワンピースを持ち帰った。洗濯機に入れた瞬間、「ホントにこれでいいのか?」と不安がよぎった。


干したことで気がついた、スカートの裏の縫い跡。ウエスト部分にゴム紐を縫い付けた手の跡は、私がもらい受けた母方祖母の服のお直しの跡を思わせた。ちばさんのおばあさんと、昨年98歳で亡くなったうちの祖母、小川淳子は1歳違いであった。石巻と横須賀、同時代に異なる場所で生きた二人の服好きの女性たちを、私の心身を媒介に出会わせたいと思った。

何かせねばと服を着て街に出てみることにした。教室にカメラを据え、授業開始早々コートを脱いで、なぜ初冬に大学で花柄の夏物ワンピースを着ているのかを説明する。戸惑った顔で若干引き気味に聞く学生たち。その反応を見てようやく、津波で亡くなった女性の遺品を見ず知らずの〈私〉が身に纏うことの奇妙さを実感した。



5. 時が止まっていた“もの”を再生してみる(11月15日)
2日目のWSでは、ちばさんを含む6人の参加者が「クリエイティブなお手入れ」を報告した。ちばさん自身はシンプルな「お手入れ」として、おばあさんの鮮やかな緑色のTシャツを着て現れた。丈つめした縫い跡の、丁寧だが洗練されていない味のある手仕事におばあさんの“ゆるさ”をみて、それが自身の性格にも影響しているんじゃないかと気づいたという。

ちばさんのお母様で日本画を描いているカツコさんは、義母であるちばさんのおばあさんの黄ばんだ服を持ち帰って漂白した。きれいになった服を写真に撮り、そのミニサイズのプリントを、この〈家〉の庭に咲く花々やベンチを描いた日本画に貼り付けて、3点のコラージュを制作した。


ヒロコさんによるおばあさんの服の「お手入れ」は、潮水を被って錆びたパーツを付け替えるなど丁寧な手仕事がほどこされ、元の持ち主への敬意が感じられるものだった。極めつけは、紫色の丈の長めのシャツを切らずに加工し、取手をつけたバッグで、そのアイディアと出来栄えに、参加者たちから「すごい!」と歓声が上がった。


チホさんは、成人式以来人生2回目だという赤色の服を着てドキドキする心境、サイズがぴったりな上に家族にも似合うと褒められて嬉しかった気持ちを語った。服の裏地の手縫いの跡に自身も針を重ねることで「実際にはあったことのないおばあちゃんに会えたのかな」とも語った。前回おばあさんのアルバムを持ち帰ったユキエさんは、1983年の夏休みに不登校を決意した自身の物語を書き上げた。「8月30日、治りかけの風邪がそうであるように、ほんの少しだけトゲトゲさが和らいでいた——」。


チエさんの二つの作品は、かつてのおばあさんの居室に置かれた。一つ目はちばさんのおばあさんの花柄の寝巻きを円筒形に加工し、オーガンジーの生地を重ねて作った天蓋。もう一つは、透け感のあるシャツを加工したフロアランプだ。もっとも驚かされたのは、天蓋の傍らに置かれた3つのガラス瓶。中の液体は服を洗った際に出た潮水であり、東北地方の塩を加えて煮詰めて出てきたという結晶や砂の粒が沈んでいた。記憶は沈澱であり、プルーストのマドレーヌのようにある瞬間にかき混ぜられ、ふと浮上するものだと、チエさんは言う。




6. 被災物であり、遺品であり、服であること
「被災物」という語は、気仙沼にあるリアス・アーク美術館の学芸員、山内宏泰氏の造語だ⁷。津波をかぶった「被災物」であると同時に、ある故人の「遺品」でもあり、縁もゆかりもない他者の身体が纏える「服」でもあり、今ここに生きる人や空間を包む「布」でもある。私たちが封を解いた被災物は、そんな混成体であるからこそ、これほどまでに多彩な「クリエイティブなお手入れ」が引き出されたのではないか。本WSのキーワードは「ほどく」と「繕う」だ。私たちは衣装ケースにしまい込まれていた服をみんなの手で“ほどいた”。それは同時に、ちばさんのおばあさんの人生や記憶、そして震災・津波の記憶を聞く行為でもあり、封じ込められていた過去の時間が“ほどかれた”。
7. 止まっていた時間を再び動かす
本WSでは、被災物との間の、触ったり着たり作り替えるといった身体を介したやりとりを通じ、止まっていた時間を再び動かすことが目指された。ただし、この「再生」とは、いわゆる「復興」のように過去から未来へと一方向に時間を進めることではない。2日間のWSで私たちが試みたのは、〈家〉やモノが宿す複数の時間の層に、自らの時間を滑り込ませることであった。自作の映像作品《ふたりのおばあさんの服を纏う》の最後には、こんな言葉を添えた。「そして私/私たちは、前よりも少しだけたくさん、彼女たちを思い出す」
注 / 参考
- 12回のWS終了後の2026年11月26日、筆者が担当するお茶の水女子大学の授業で、ちばふみ枝さんに震災から現在までのご活動についてお話を伺った。本稿に載せた大学生の言葉は、本授業の感想コメントを本人の許諾を得て引用するものである。
- 2山内宏泰「記憶の器としての被災物」姜信子他『被災物 モノ語りは増殖する』(2024年、かたばみ書房)を参照・引用した。
- 3梶原千恵「家を手当てすること――「生きる家プロジェクト」2024年オープンスペースの報告――」、井上幸治「海辺の家のカーテン――「生きる家プロジェクト2025」についての覚書」(ともに2025年)等を参照。
- 4松井至監督の短編映画「家は生きていく」(2023年、15分)。制作過程については松井至『つぎの民話』(2025年、信陽堂)に詳しい。
- 5「フェスティバル FUKUSHIMA! 2021:越境する意志」展(2021年9月4日〜10月17日、会場:福島市 四季の里/憩いの館)。その後2022年4月に石巻の〈家〉に伺った。
- 6小松﨑望さん(お茶の水女子大学)のちばふみ枝さんゲスト授業の感想コメントより。
- 7ちばさんは2日目のWSの感想において「津波をかぶるっていうワンクッションがあったから、『遺品』感が薄れたのかもしれないですね」と述べた。
文化人類学研究者。災禍の記録/表現活動、日本を含むアジア圏のクラフトやフォークアートについて研究。近著に『〈動物を描く〉人類学』(共著、2024)、『死を感受する』(共著、2025)。国際ファッション専門職大学准教授。